転職を考えはじめたとき、多くの人がまず「何がしたいか」から考えます。
でも私は、そこから考えて答えが出た記憶がありません。出てくるのは「今の会社の何が嫌か」ばかりで、次にやりたいことは何も浮かばなかった。
結果として私は、2回のキャリアチェンジをしました。1回目は転職で、2回目は社内の異動です。そして振り返ってみると、どちらも「全部は変えていない」という共通点がありました。
これは意図してやったことではありません。後から気づいたことです。ただ、気づいてみると、あのとき全部を変えようとしなくてよかったと思っています。
30歳のとき、転職したい理由だけははっきりしていた
新卒で入ったのは大手の損害保険会社でした。辞めたいと思った理由は2つあります。
ひとつは、全国転勤です。
損保の国内拠点は、支店・営業部から営業課・支社・営業所、保険金サービス拠点まで含めると、数百単位であります。つまり異動の行き先は、実質ガチャです。次にどこへ飛ぶかは、自分ではまったくコントロールできません。私も3回、住む場所が変わりました。
結婚してからは、妻も勤務先に異動の希望を出して、そのたびについてきてもらいました。
ありがたかったのですが、同時にずっと引っかかっていました。私の都合で、妻のキャリアに影響が出すぎている。 これがあと何回続くのかと考えたときに、続けられないと思いました。
もうひとつは、単純に仕事が楽しくなかったことです。しんどさの割に、という言い方が近いかもしれません。やっていたことの多くは、他社の自動車保険をうちに切り替えてもらう営業でした。大変なんですが、それで何かが良くなっている感覚が持てなかった。
理由はこれだけはっきりしていたのに、「じゃあ次は何をやるのか」は、まったく決まっていませんでした。
「何がしたいか」が決まらないまま、転職エージェントに相談した
それでも動きはじめたので、転職エージェントに登録して、コンサルタントに相談しました。
正直に言えば、戦略があったわけではありません。「とりあえず転職したい」という状態のまま相談に行きました。
そこで出てきた求人のひとつが、大手SIerの保険業界向けの顧客営業のポジションでした。
これは自分で探し当てたものではありません。結果的にそうなったというのが正確なところです。ただ、いま振り返ると、この「結果的に」がかなり重要だったと思っています。
業界は保険のまま。変わったのは会社と、立っている位置でした。保険を売る側から、保険会社にシステムを売る側へ。ユーザー企業からベンダーへ、という移動です。
「ITの知識は入社してからでいい」と言われた
30歳での転職で、いちばん不安だったのは未経験であることでした。IT業界のことは何も知らない。それで通るのかと思っていました。
でも面接で言われたのは、こうでした。
ITの知識は入社してからでいい。顧客理解があるなら大歓迎です。
このときは半信半疑でしたが、入ってみて意味が分かりました。
残した業界知識は、想像以上に効いた
保険会社にいたときの知識のうち、いちばん役に立ったのは、商品知識でも業界動向でもありませんでした。
保険会社の営業担当者の、一日の仕事の流れです。
朝から何をして、どこで時間を取られて、どの作業が非効率で、何のためにやっているのか分からない業務がどれなのか。それが体で分かっていました。
システムを提案する立場になったとき、これが決定的でした。お客さんが言葉にしない「ここが面倒なんだよな」の部分に、こちらから触れられる。現場の人間として、同じ面倒を経験していたからです。
調べれば業界動向は分かります。でも「この帳票、誰も見てないのに毎朝作ってますよね」みたいな話は、外から調べても出てきません。
逆に、持っていけなかったものもある
一方で、まるごと捨てたものもあります。
保険会社の営業では、とりあえず客先に行って、雑談して、関係をつくる、という動き方をしていました。飛び込みに近い形も当たり前でした。
これは新しい会社ではまったく通用しませんでした。そもそもアポイントがないと受付を突破できない。 飛び込み営業という概念自体が存在しませんでした。
同じ「法人営業」でも、動き方はこれだけ違います。持っていけるものと、置いていくしかないものがある。それを最初から分かっていたわけではなく、行ってから知りました。
7年後、今度は職種を変えた
転職してしばらく経って、今度は社内で異動しました。営業から、経営企画です。
社内公募の制度があり、在籍年数の条件を満たしたので応募しました。
この2回目で変えたのは職種だけです。会社も業界も、それまでに積んだ社内の信用も、全部そのまま残しました。
いま思えば、この順番も良かったと思っています。営業から経営企画のような管理部門への移動は、外部の転職市場ではかなり難しいとされています。求人自体が少なく、多くは欠員の補充で、未経験から入るハードルは高い。
でも社内なら、事情が変わります。何ができる人間かを、すでに周りが知っているからです。
営業経験が、数字を見る仕事で効いたこと
経営企画に移ってから、営業の経験が効いた場面がありました。
提案から受注、契約、そして請求まで。この一連の流れを、頭ではなく手順として知っていたことです。
これが分かっていると、社内の数字がどのタイミングで計上されるのかが感覚で掴めます。 契約を取った月と、売上が立つ月は違う。その間に何が起きるのかも知っている。
年度の途中で見込みを報告する仕事をするようになって、この感覚が役に立ちました。数字を作る現場にいた人間として、その数字がどう積み上がるのかを知っていた。経理でも財務でもない、営業側からの理解です。
もし、1回目で全部いっぺんに変えていたら
ここまで書いてきて、いちばん考えるのはこれです。
もし30歳のとき、業界も職種も会社も、全部いっぺんに変えようとしていたらどうなっていたか。
たぶん、選択肢がかなり狭まっていたと思います。
未経験の業界で、未経験の職種を狙う。評価される材料が何もない状態です。そうなると、来る話はどうしても条件が下がる。
そして怖いのは、それでも進んでしまっただろうということです。あのときの私は「とりあえず転職したい」という状態でした。年収が大きく下がるようなポストでも、転職したい意欲のほうが先行して、決めてしまっていたかもしれません。
理由がはっきりしていて、次が決まっていないときほど、この状態になりやすいと思います。逃げたい気持ちが強いと、選択そのものが雑になる。
何を残せるかの、棚卸しのしかた
だから、転職を考えはじめたときに最初にやるといいのは、「何がしたいか」を考えることではなく、「自分は何を持っていて、そのうち何を持ち運べるのか」を数えることだと思っています。
数えるときの視点をいくつか挙げます。
業界の知識
商品や制度の知識ではなく、その業界の人が日々どう働いているか。どこで時間を取られ、何を面倒だと思っているか。これは外から調べても出てこないので、いちばん価値が残りやすい部分です。
仕事の型
提案の仕方、社内の通し方、数字の作り方。会社が変わっても形を変えて使えるものと、その会社でしか通用しないものがあります。私の場合、前者が「提案から請求までの流れ」で、後者が「飛び込みと雑談で関係をつくる動き方」でした。
社内の信用
これは転職すると完全にゼロになります。逆に言えば、社内で動く限りは残るということです。職種を変えたいなら、外に出るより先に、社内の選択肢を調べる価値があります。
そのうえで、変えるものを決める。業界・職種・会社の3つのうち、一度に変えるのは1つか2つまで。これが、私が2回やってみて思っていることです。
最後に
私はこれを戦略として実行したわけではありません。1回目は、たまたま業界を残せる求人に当たっただけです。
ただ、あのとき全部を変えなくて済んだから、次の場所で持っていけるものがあった。そして持っていけるものがあったから、そこで信用ができて、2回目の異動につながった。
変えなかったものが、次の場所での足場になっていました。
転職したい理由がはっきりしている人ほど、早く全部を変えたくなると思います。私もそうでした。でも一度だけ、何を残せるかを数えてみてほしいです。
数えてみると、思っていたより持っているものがあります。

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